国語の学校の先生の学びの環境
まず学校。中学高校の国語の先生は、基本的には免許を取らなければならないので、ほとんどが文学部出身です。僕も文学部出身で国語の先生になりました。
文学部出身というのは今すごく珍しいです。私のときも男の人で文学部出身だと就職先がないと言われました。でも、文学部を専攻したのは、恐らく本を読むことが小さい時から好きな人。たくさん本を読んでいるから何となく問題を解くことができる。
国語は得意で好きで面白い。つまり、子供のときからのたくさんの文章を読む経験の積み重ねの中で、国語の先生の読解力・国語力が培っている。だから子どもたちがどうしたら国語の力がつきますかといったらば、特に方法があったわけじゃないのです。
たくさん本を読んできたその延長線上で、その先生の国語力があるので、本をたくさん読みなさい、問題をたくさんときなさい、という教え方になってしまう。
どう読んだらいいのか?どう解いたらいいのか?論理なんていうのは全く頭にないのです。特に文学的な人は、理系的な論理が苦手な人が多いです。だから習うより慣れろというやり方でした。
昔はそれでうまくいくこともありました。なぜかというと僕らは子どもの時、ゲームもYouTubeもアニメもほとんどなかった。だから本を読むしかなかった。子供の時からたくさん本を読んでいる子が、自然と国語力がついて、いい成績で大学に入っていたのです。