長年、現代国語の受験指導をしてきた私ですが、直面したのは「マンガが読めない子どもたち」。今、マンガが読めない子どもたちが増えているというのです。いったい何が問題なのでしょうか。論理的な思考を身につけ、問題解決能力を高めたい方はぜひご一読ください。
マンガが読めない子どもが増えている

最近、マンガが読めない子どもが増えていると言います。私が子どものころは「マンガばかり読んでいないで勉強しなさい」と怒られたものですが、小学生対象の塾関係者からこの話を聞いたとき、思わず我が耳を疑いました。
考えてみれば、たしかにマンガを読むには読解力が必要なのです。セリフの意味を考え、ストーリーを理解し、背景となる絵やコマとコマとの関係を読み取らなければなりません。それに対し、今の子どもたちはアニメになれきってしまっています。アニメならば主体的に読み取らなくても、絵もセリフも音もすべてが完成されたものとして提供されるので、子どもたちはただそれを受け取ればいいだけです。
文章を書くときも、スタンプを押すだけ。何でも、「ヤバイ」「ムカつく」「ビミョウ」。何がヤバいのか、どうムカつくのか、自分の気持ちですら分析し、言語化することすらできない。明確な判断ができないときは、すべて「ビミョウ」で解決させてしまいます。
「ヤバイ」という言葉は実に恐ろしい

たとえば、「ヤバイ」という言葉は実に恐ろしい言葉です。映画を見て感動したときも「あの映画はヤバイ」。人を批判するときも「あの人はヤバイ」。つまり、プラスの感情もマイナスの感情もすべて「ヤバイ」の一言で事足りるのですから、まさに「ヤバイ」言葉なのです。
犬や猫は餌をねだるときも、甘えるときも、威嚇するときも、すべて「ワン」とか「ニャン」ですましています。声のトーンや大きさで、ひとつの言葉を使い分けしているのだとしたら、今の子ども(大人でも)が使う「ヤバイ」は、犬や猫の言語レベルではないでしょうか。あるいは、赤ちゃんがホギャーと鳴くのとどこが違うのでしょうか。
これは実に恐ろしい事態です。今の子どもたちが社会で活躍するころには、AIやロボットによる社会構造の根本的な変化が訪れ、第四次産業革命の真只中にいることでしょう。東大ロボのプロジェクトを主催した荒井紀子氏は、著書「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の中で、AI時代に必要な力は、読解力だと指摘していますが、この先、読解力の極度に欠けた大人たちが続々と登場しはじめるのです。今、出版不況が問題となっていますが、その原因はネットで情報を得ることになったことだけではなく、私たちの読解力不足が大きいのではないでしょうか。
それなのにいまだに旧態依然の詰め込みを固守したり、新しい教育という看板だけを付け替えたりと、教育界の体質は驚くばかりです。子どもの未来のために、日本の将来のために、今こそ教育を抜本から立て直さなければなりません。もちろん、私一人の力など取るに足らないものです。だからこそ、同じ志をもった多くの教育機関や教育者たちを募っているのです。
私が出版社を立ち上げた理由
私が水王舎という出版社を立ち上げたのは、メディアを自分の手にしたかったからです。多くの人に伝えたい情報や世に流布したい新しい教育があります。それらをたとえ世間に批判されようとも、堂々と知らしめたい。それには自分自身の手にメディアを握らなければならなかったのです。
そして私は、「出口式」として子ども向けの本を8冊出しました。出口式幼児ドリルの「ろんり」(年少・年中・年長版)と、出口式幼児ドリルの「かんじ」(年少・年中・年長版)、そして「出口式頭がよくなる漢字トレーニング」(小学一年生・小学二年生版)です。
水王舎公式ストア「SHIP」にて購入することができます。
「出口式」では、漢字は書き取りではなく、読み取り中心に学習させます。なぜなら、「書くこと」と「意味を理解すること」とは何の関係もないからです。たとえば、薔薇とか醤油という字は書けなくても、コンピューターが自動変換してくれますが、読めなければ意味がわかりません。
幼児期から四年生までの配当漢字を読めるようにします。すると、助詞や助動詞、日本語の規則を自然に習得できるようになります。たとえば「わたしはあしたおとうさんといっしょにゆうえんちにあそびにいく」といった、ひらがなだけの文を幼児は読み取れません。なぜなら、文節という概念をもたないので、どこで切っていいのかわからないからです。しかし、漢字が読めるようになると、「私は」の「私」は一目で意味がわかるので、主語を表す「は」を自然に理解できるようになります。