“国語の勉強って、なんだか成果が見えづらい”。
そう感じたことがある方は、少なくないのではないでしょうか。
長年、現代文の指導に携わってきた私も、かつてはその悩みにぶつかった一人です。特に感じていたのは、“再現性”のなさ。どんなに丁寧に問題を解説しても、それが別の文章や設問に応用されないのでは、学んだ意味が薄れてしまうのです。
なぜ「再現性」が低いのか?
現代文の授業は、英語や数学に比べて「何をどう教えるのか」が曖昧になりがちです。かつて、私が初めて予備校で現代文を教えたとき、入試問題集を前にして思わず立ち尽くしてしまいました。自分なりに解いて説明はできても、それは“その問題に対する説明”に過ぎず、別の問題では通用しない。
英語なら文法や構文、数学なら定理や公式があり、それらを軸に授業が構築されます。しかし現代文は、文章も設問も千差万別。蓄積できる「知識」が少ないため、授業の型を持ちにくいのです。
結果として、授業は問題文の読み聞かせや感想めいたコメントに終始しがちになり、生徒は「これで点が上がるの?」と不信感を持ち、講師もそれに応えきれないという、悪循環が起こります。
さらに、生徒側にも「国語は感覚」「センスが必要」といった誤解が根強くあります。この思い込みこそが、再現性ある勉強法を見失わせる最大の壁なのです。
帰納法と演繹法が、現代文を変える

たとえば帰納法とは、複数の具体的な事象から共通点を抽出し、そこからルールや法則を導く思考法。一方の演繹法は、すでにあるルールや前提から、個別の事例に当てはめて具体的な結論を導く思考法です。
現代文でこれをどう活かすのか?
まず、生徒たちと共にさまざまな問題を観察し、設問のパターンや正解の選び方に共通項を見出します(=帰納)。そして、その共通項を「原則」としてまとめ、以降の問題にその原則をあてはめて解いていきます(=演繹)。
このプロセスを通じて、生徒たちは“文章の読解力”と“設問への対応力”を同時に高めていけるのです。
たとえば、「傍線部の理由を答えなさい」という設問。これは、文章の因果関係を見抜く力が問われています。「なぜそうなったのか」を探すとき、前後の文脈を論理的にたどる必要がある。ここに演繹法が生きるのです。
また、「筆者の主張は何か」を問う問題では、具体的な事例をいくつも拾い上げ、それらから共通する視点を抽出する。この作業こそ帰納法の訓練です。
現代文は、論理の教科である
ある日、私は生徒にこう宣言しました——
「現代文は、論理で解ける教科です。これからすべての問題を、同じ論理で解いて見せましょう」
生徒たちの表情が一変しました。ただの暗記や感覚ではない、“筋道の通った解き方”が本当にあるのかを、自分の目で確かめようとする眼差しでした。
そして私自身も、退路を断ちました。論理に基づく授業を積み重ね、どんな問題にも共通する読み方・考え方を提示し続けてきました。
それから数十年。積み上げてきた指導の成果からも、私の中では確信があります。現代文は論理の教科である。そして、論理は誰でも習得できる技術である。
誤解されがちな「センス頼みの教科」ではなく、地道に積み上げられる“読みの型”と“考えの道筋”こそが、現代文攻略の鍵なのです。
論理は、あなたの味方になる。
それが、私たち出口式論理アカデミーの原点です。
現代文に迷うすべての人へ。感覚や経験ではなく、誰もが手にできる“再現性のある方法”を、これからも伝えていきます。